2008年6月13日金曜日

-mu-2

仏教の言葉に、「諸行無常」という言葉がある。
この世の物すべては常に流動的で、変化し続け、少しでも同一性を保つ事は出来ないと言う意味。

そして、「諸行は無常であってこれは生滅の法であり、生滅の法は苦である。」という言葉もある。

では、なぜ諸行無常、生滅が苦であるのか、、、、?
それは、物事が変動し生滅するのが苦であるのではなく、生滅するものだと思わずにいるから苦しいということ。

人間は変化し続けるものの中に不変の物を見いだそうとしたり、逆に自分は変化せず、周りだけが変化してゆくものと思いがち。
自分というものは、この世に生まれて心身共に成長し、現時点での自分があり、さらにそれは年を重ねてさらに変化し、やがて一生を終える。このことを分かっていながらもつい、私は私である(現時点での自分)というふうに考えてしまう。

こう思うのではなく、常に変化する物こそ、私であり、世の中であるということ。

我は我であるが、それと同時に我ではない。

これが「無我の境地」という言葉に繋がっていくのではないでしょうか?



・・・・意味不明?

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