自分で自分を客観的に見たときに思うこと、、、
いろいろあります。
自分の場合、いい所より悪い所のほうが先に出てきます。
いつもいつも直そうと思うんやけど、なかなかね~。自分で思うに、のんきな割に感情が先に出てしまう。わがままな性格。
当面の目標は表面的にも内面的にも怒らずに、常に平静を保って行くこと、笑顔でいられること。何事にも丁寧に真剣に、相手の気持ちを考えて。
たくさん、、、、、。
仏教には、3つの教えがあります。
「無常」「中道」「慈悲」
無常とは、万物はうつろいゆき、常に変化するものということ。
花はいずれ散り、若く元気だった者もいずれは年老いて無くなる。そうであるならば、私たちはどうあるべきか?
中道とは、偏った考え方をしないということ。
琵琶の弦は、いい音を出すために締めすぎればぷつりと切れるが、緩めすぎるとべろんべろんの音しかしない。
慈悲とは、人に与える喜び。
無常を理解し中道を歩むことが出来る者は、慈悲を持って人に接することで感謝され、それが自分の喜びになる。
中でも最も難しいのは中道。もちろん他が簡単だとは思わないけど、、。
人に気を遣いすぎても相手は心を開いてくれない。かといって気遣いしなければ失礼に感じられるかもしれない。
要するに物事には好い加減というものがあるのでしょう。しかし、その好い加減が難しい。言葉では説明できない。
好い加減といいかげんは似ていて相反する言葉ですね。
お釈迦さんは偉大です。
がんばります。日々精進。
2007年3月20日火曜日
2007年3月16日金曜日
嫌になる、、、。
全国的に卒業式の行われた、昨日3月15日。僕は瀬戸内海に浮かぶちいさな島「大島」に行っておりました。
これまで5年前から何回も取材をさせてもらっていた庵治第二小学校の最後の卒業式です。卒業式の後には休校式も行われます。今年度の全校生徒数は3名。内2名が卒業生です。しかたのないことなのか、、、、。
庵治第二小学校はハンセン病の歴史と大きく関わってきた学校です。
この島「大島」はハンセン病患者のための病院がある島で、過去の間違った認識と差別により事実上各離島として扱われてきました。
~ハンセン病とは~
1873年にノルウェーのハンセンが発見したらい菌の感染によって, 皮膚とおもに皮膚や筋肉に張りめぐらされた神経(末しょう神経)などが犯される病気 です。らい菌の毒力はごく弱く,うつっても発病することはほとんどありません。それに 今では,よく効く薬があって完全に治る病気になりました。
しかし,昔はらいとからい病といわれ,効く薬もなく,顔や手足などに目立つほどの 跡を残すこともあったので,恐ろしい伝染病のように思われて,らい予防法という法律で 強制的に療養所の中に一生閉じこめられてきました。
世間の偏見と差別で家族との縁も切って、自らこの島に移住した人も何人もいるそうです。
うつりにくいし,発病もしにくく,たとえ発病しても完全に治るようになったうえに, 人間として生きる権利をふみにじるようならい予防法は,もともと必要がなかったことも明らかとなり1996年に廃止されました。
それでもまだ,悪い恐ろしい病気という間違っ た考え方(偏見)が一部に残っており,患者さんや家族の人たちを苦しめていますから, だれもがハンセン病についての正しい知識を持たなくてはなりません。
壮絶な歴史を持つこの島にある小学校。最近ではこの島の病院に勤める職員のかたの子供たちが通っていました。
家族からもふるさとからも遠く離れて暮らす入所者にとって、身近に小学校があり元気に遊ぶ子どもたちを見ること、声を聞くことは、なによりもうれしい事だったに違いありません。しかしながら年々生徒数も減り、とうとう休校に。残念でなりません。
朝一番の船に乗り久々に小学校に行くと、そこには多くのマスコミ関係者が!!3年ほど前に僕らがこの小学校を取材した番組が全国放送された辺りから徐々に取材に来る人が増え始めたとか、、、。なんとも悪いことをしたなぁと思います。
そんな大勢の取材者のいる卒業式ですから、客観的に見て、とても異様な雰囲気です。卒業生の保護者はもちろん入所者の方も多くこの式に来られていまいた。しかし取材スタッフの数はそれよりも多かったように思います。
こういう場合、我々取材スタッフは取材対象者が意識しないように行動しなければならないと思っています。要するに僕ら取材陣は卒業式の邪魔をしてはいけない立場の人間です。
携帯の着信音くらい切っとくのが常識でしょ?
静かな卒業式の中、最近流りの歌なのか何なのか、着うたが響き渡ります。式の進行に伴って何人ものスタッフが右往左往します。子どもたちの目には僕らはどう映っているんでしょうか?
同じ立場の人間として、この仕事が嫌になる瞬間でもあります。
子どもたちにとって小学校6年間の終わりでもあり、学校もこれで休校になる大切な節目です。テレビや新聞で少しだけこの学校の卒業式を紹介するだけのためにこんなに邪魔をしていいものなのか、、、、。
もう少し僕らマスコミの人間もマナーと取材対象者に対する心配りを身につけないといけないのではないだろうかと思いました。
罪悪感にかられ、僕らのする仕事とは何ぞや!?と、、、、、。
世のため人のためにならない職業なんでしょうね、、、たぶん。
これまで5年前から何回も取材をさせてもらっていた庵治第二小学校の最後の卒業式です。卒業式の後には休校式も行われます。今年度の全校生徒数は3名。内2名が卒業生です。しかたのないことなのか、、、、。
庵治第二小学校はハンセン病の歴史と大きく関わってきた学校です。
この島「大島」はハンセン病患者のための病院がある島で、過去の間違った認識と差別により事実上各離島として扱われてきました。
~ハンセン病とは~
1873年にノルウェーのハンセンが発見したらい菌の感染によって, 皮膚とおもに皮膚や筋肉に張りめぐらされた神経(末しょう神経)などが犯される病気 です。らい菌の毒力はごく弱く,うつっても発病することはほとんどありません。それに 今では,よく効く薬があって完全に治る病気になりました。
しかし,昔はらいとからい病といわれ,効く薬もなく,顔や手足などに目立つほどの 跡を残すこともあったので,恐ろしい伝染病のように思われて,らい予防法という法律で 強制的に療養所の中に一生閉じこめられてきました。
世間の偏見と差別で家族との縁も切って、自らこの島に移住した人も何人もいるそうです。
うつりにくいし,発病もしにくく,たとえ発病しても完全に治るようになったうえに, 人間として生きる権利をふみにじるようならい予防法は,もともと必要がなかったことも明らかとなり1996年に廃止されました。
それでもまだ,悪い恐ろしい病気という間違っ た考え方(偏見)が一部に残っており,患者さんや家族の人たちを苦しめていますから, だれもがハンセン病についての正しい知識を持たなくてはなりません。
壮絶な歴史を持つこの島にある小学校。最近ではこの島の病院に勤める職員のかたの子供たちが通っていました。
家族からもふるさとからも遠く離れて暮らす入所者にとって、身近に小学校があり元気に遊ぶ子どもたちを見ること、声を聞くことは、なによりもうれしい事だったに違いありません。しかしながら年々生徒数も減り、とうとう休校に。残念でなりません。
朝一番の船に乗り久々に小学校に行くと、そこには多くのマスコミ関係者が!!3年ほど前に僕らがこの小学校を取材した番組が全国放送された辺りから徐々に取材に来る人が増え始めたとか、、、。なんとも悪いことをしたなぁと思います。
そんな大勢の取材者のいる卒業式ですから、客観的に見て、とても異様な雰囲気です。卒業生の保護者はもちろん入所者の方も多くこの式に来られていまいた。しかし取材スタッフの数はそれよりも多かったように思います。
こういう場合、我々取材スタッフは取材対象者が意識しないように行動しなければならないと思っています。要するに僕ら取材陣は卒業式の邪魔をしてはいけない立場の人間です。
携帯の着信音くらい切っとくのが常識でしょ?
静かな卒業式の中、最近流りの歌なのか何なのか、着うたが響き渡ります。式の進行に伴って何人ものスタッフが右往左往します。子どもたちの目には僕らはどう映っているんでしょうか?
同じ立場の人間として、この仕事が嫌になる瞬間でもあります。
子どもたちにとって小学校6年間の終わりでもあり、学校もこれで休校になる大切な節目です。テレビや新聞で少しだけこの学校の卒業式を紹介するだけのためにこんなに邪魔をしていいものなのか、、、、。
もう少し僕らマスコミの人間もマナーと取材対象者に対する心配りを身につけないといけないのではないだろうかと思いました。
罪悪感にかられ、僕らのする仕事とは何ぞや!?と、、、、、。
世のため人のためにならない職業なんでしょうね、、、たぶん。
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