2005年5月25日水曜日

自分の定義

2005年5月21日(土曜日)午後2時05分
福岡にいる従弟が19年という短い人生を終えた。

バイト中の交通事故。医者には絶望的と言われながらも彼は病院で11日間もがんばった。
今思えばその11日間があったからこそ、家族や私たちは現実を直視することが出来た。言い換えれば、その時間を私たちに与えてくれたのだと思う。 

葬儀には、驚くほどたくさんの人が集まった。19年という短い一生の中で、彼はこんなにも多くの人と関わり合って来た事を考えると、彼の人柄の良さを思うと共に、はたして寿命をまっとうしたらならどれだけの人と彼は関わり合えただろうか?と心が痛む。

人間は身近な人が亡くなると、なぜこんなに悲しいのだろうか?

僕が思うに、人は関わる周囲の人によって自身を認識する。
つまり、まわりの人があなたはあなたでこんな人だよと思うから、自分はここにいる事を確信するのではないか、、、?
もちろん免許書などの証明書には自分の存在が記されているのだが、それは単に書類上そうなっているだけで、実際は違うかもしれない。中国では少子化政策により書類上存在しない事になっている子供たちがいっぱいいるそうだ。
自分に関係する人が亡くなることは、自分を証明してくれている人、つまり自分一部がなくなるのと同じこと。だから心が痛むのかもしれない。

『彼は、何のために生まれてきたんだろうか?』

と亡くなった従弟の父親(僕から言うと叔父)が火葬場で待つ間、僕に(自分自身にかもしれない)呟いたのを鮮明に覚えている。
子を亡くした親の気持ちを考えると、その言葉が痛かった。



彼は、彼と接する全ての人のために生まれてきた。
もし、魂と言うものが実際にあるならば、人が人と関わり合い、思う事がその思われる人の魂になり、そのために人は生まれてくるのかもしれない。
残された者が故人を思う限り、その人の存在(魂)は在り続けるのだろう。

ここに、亡くなった従弟に対して、追悼の念と感謝の気持ちを込めて

ありがとう。安らかに

と記す。

2005年5月11日水曜日

ネット回線

今年のゴールデンウィーク、会社は珍しく暇らしく休みをもらいました。入社以来初めてゴールデン休み~。(といっても3連休だが、、、)
 
引っ越しで3日終わりました。そして、かなり疲れました。
例の如くまだ部屋は散らかっておりますが、最近各所に住所変更をしてない事にも気付きはじめ、ちょっと不安です。郵便物が一通も届きません。
 
ゴールデンウィーク中に引っ越しをしてしまったため、手続き関係が全く出来ていない状況で、もちろんネットにも繋がっておりません。(この日記はどこか別の場所で書いてます)いつ繋がるのかも、いまいち不明です。
 
インターネットってほんとに便利で、楽しい物ですが、そこに繋がらなくなってなんだか最近は充実しております。
凄く人間的な暮らしをしている感じがします。映画見たり、散歩したり本読んだり、、、。
でも、そろそろ繋がらないと、しないといけない事が溜まってきました。メールもしばらく確認出来てないので不安です。
 
「携帯とネットはないと不便だが、落ち着く。」