オーストラリアの原住民「アボリジニ」の言葉で、好きな言葉がある。
「ドリームタイム」
彼らの神話時代のことを指すらしいのですが、なんだかそんなことよりドリームタイムっていう響きが好き。
単純に「夢の時間」という意味ではないようで、エネルギーや精神を受け継ぐ時代という意味だとか、、。
そこには多分深い意味があるんだうけど、自然とホッコリできる言葉です。なんでやろ?
2008年6月18日水曜日
インク
プリンターのインクが切れたので、買いに行く。
一色、約1000円。我が家は月にA4で200~400枚以上印刷しているので、インク代も馬鹿になりません。
で、ふと思ったことがある。
プリンターのインクって、選べますか?
ほとんどのプリンターが、インクの型番を指定しているはずで、ほとんどのプリンターが指定された一種類のインクしか入らないはずです。
ということは、客はインクを自由に選ぶ余地がないということです。
それを思うと、プリンターのインクって過剰包装ではないでしょうか?
他社と競合して、客の目を引かなくてもいい商品を目立たせる必要があるのかな?
中の密閉された袋はいいとしても外箱はぜったいないほうが、メーカーにも客にも地球にもいいのでは?
デザイン料や、材料費など製作コストがとてもかかる外箱。
これをなくせば、メーカーはコスト削減できるし、一個あたりの体積も減るので輸送費も抑えらる。そうすると、販売価格も下げられる。そして、地球にもやさしい。
外箱なんて、家に帰るとすぐにゴミ箱行きです。販売店から家に帰るまでの数分間しか存在しないようなもの。じゃぁ、いらないのでは?どうだろう?
梱包や陳列が困難になるのかなぁ、、、?
一色、約1000円。我が家は月にA4で200~400枚以上印刷しているので、インク代も馬鹿になりません。
で、ふと思ったことがある。
プリンターのインクって、選べますか?
ほとんどのプリンターが、インクの型番を指定しているはずで、ほとんどのプリンターが指定された一種類のインクしか入らないはずです。
ということは、客はインクを自由に選ぶ余地がないということです。
それを思うと、プリンターのインクって過剰包装ではないでしょうか?
他社と競合して、客の目を引かなくてもいい商品を目立たせる必要があるのかな?
中の密閉された袋はいいとしても外箱はぜったいないほうが、メーカーにも客にも地球にもいいのでは?
デザイン料や、材料費など製作コストがとてもかかる外箱。
これをなくせば、メーカーはコスト削減できるし、一個あたりの体積も減るので輸送費も抑えらる。そうすると、販売価格も下げられる。そして、地球にもやさしい。
外箱なんて、家に帰るとすぐにゴミ箱行きです。販売店から家に帰るまでの数分間しか存在しないようなもの。じゃぁ、いらないのでは?どうだろう?
梱包や陳列が困難になるのかなぁ、、、?
2008年6月13日金曜日
-mu-2
仏教の言葉に、「諸行無常」という言葉がある。
この世の物すべては常に流動的で、変化し続け、少しでも同一性を保つ事は出来ないと言う意味。
そして、「諸行は無常であってこれは生滅の法であり、生滅の法は苦である。」という言葉もある。
では、なぜ諸行無常、生滅が苦であるのか、、、、?
それは、物事が変動し生滅するのが苦であるのではなく、生滅するものだと思わずにいるから苦しいということ。
人間は変化し続けるものの中に不変の物を見いだそうとしたり、逆に自分は変化せず、周りだけが変化してゆくものと思いがち。
自分というものは、この世に生まれて心身共に成長し、現時点での自分があり、さらにそれは年を重ねてさらに変化し、やがて一生を終える。このことを分かっていながらもつい、私は私である(現時点での自分)というふうに考えてしまう。
こう思うのではなく、常に変化する物こそ、私であり、世の中であるということ。
我は我であるが、それと同時に我ではない。
これが「無我の境地」という言葉に繋がっていくのではないでしょうか?
・・・・意味不明?
この世の物すべては常に流動的で、変化し続け、少しでも同一性を保つ事は出来ないと言う意味。
そして、「諸行は無常であってこれは生滅の法であり、生滅の法は苦である。」という言葉もある。
では、なぜ諸行無常、生滅が苦であるのか、、、、?
それは、物事が変動し生滅するのが苦であるのではなく、生滅するものだと思わずにいるから苦しいということ。
人間は変化し続けるものの中に不変の物を見いだそうとしたり、逆に自分は変化せず、周りだけが変化してゆくものと思いがち。
自分というものは、この世に生まれて心身共に成長し、現時点での自分があり、さらにそれは年を重ねてさらに変化し、やがて一生を終える。このことを分かっていながらもつい、私は私である(現時点での自分)というふうに考えてしまう。
こう思うのではなく、常に変化する物こそ、私であり、世の中であるということ。
我は我であるが、それと同時に我ではない。
これが「無我の境地」という言葉に繋がっていくのではないでしょうか?
・・・・意味不明?
2008年6月2日月曜日
-mu-
最近強く思うこと、それは「万物は無に通づる」。
無我の境地だとか、無心だとか、いろいろな言葉がありますが、物事をどんどん掘り下げて考えていると行き着くのは多分「無」のような気がします。
まだまだ、僕自身の修行が足りないのでなかなか無には行き着かないですが、「たぶんもう少し進めたら無に行くんだろうなぁ、、、」みたいな所までは行ったりします。
無い事とは、ある意味完璧なのかもしれません。
個人的な解釈ですが、無心になると言うことは自然にとけ込むと言うこと。つまり矛盾が無くなることなんだと解釈しております。
人間は矛盾に満ちた動物ですからね。
無我の境地だとか、無心だとか、いろいろな言葉がありますが、物事をどんどん掘り下げて考えていると行き着くのは多分「無」のような気がします。
まだまだ、僕自身の修行が足りないのでなかなか無には行き着かないですが、「たぶんもう少し進めたら無に行くんだろうなぁ、、、」みたいな所までは行ったりします。
無い事とは、ある意味完璧なのかもしれません。
個人的な解釈ですが、無心になると言うことは自然にとけ込むと言うこと。つまり矛盾が無くなることなんだと解釈しております。
人間は矛盾に満ちた動物ですからね。
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